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大阪地方裁判所 昭和39年(行ウ)18号 判決 1971年5月12日

原告 徳山栄信

被告 布施税務署長 外一名

訴訟代理人 小沢義彦 外三名

主文

一、被告が昭和三七年一〇月三一日付でなした原告の(1) 昭和三五年度の所得税について、総所得金額を二二四万円とする更正処分のうち九〇万七、四七六円を超える部分および(2) 昭和三六年度の所得税について、総所得金額を三四一万一、〇〇〇円とする更正処分のうち、一三六万九、六五四円を超える部分をいずれも取消す。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

(当事者双方の申立て)

一、原告

(一)  被告が昭和三七年一〇月三一日付でなした原告の(1) 昭和三五年度の所得税について、総所得金額を二二四万円とする更正処分、および(2) 昭和三六年度の所得税について、総所得金額を三四一万一、〇〇〇円とする更正処分をいずれも取消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

(一)  原告の請求はいずれもこれを棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

(当事者双方の主張)

第一、原告の請求原因

一、原告は昭和二九年から昭和三六年七月まで大阪府三島郡三島町において鉄屑回収業を営む産鋼商店(経営者浦部弘)に勤務するかたわら、昭和三二年頃より肩書地において原告名義にて同人の妻が小規模な鉄屑回収業丸高商店を営んでいたが、昭和三六年八月以降は原告自ら丸高商店を営んで現在に至つているものである。

二、原告は、被告に対し、昭和三六年四月五日、原告の昭和三五年度分所得税について事業所得三〇万円、給与所得一九万二、〇〇〇円、総所得金額四九万二、〇〇〇円として修正確定申告、し、さらに昭和三七年三月一五日、原告の昭和三六年度分所得税について事業所得六六万一、五〇〇円、総所得金額右同額として確定申告したところ、被告は昭和三七年一〇月三一日、昭和三五年度分の所得税について事業所得二二四万円、総所得金額右同額、昭和三六年度分所得税について事業所得三四一万一、〇〇〇円、総所得金額右同額とする各更正処分をなした。

三、そこで原告は昭和三七年一一月八日右各更正処分について被告に対し異議申立をしたところ、右は昭和三八年二月八日国税通則法(昭和四五年法律第八号による改正前のもの)八〇条一項により訴外大阪国税局長に審査請求があつたものとみなされ、同局長は昭和三九年四月二一日右審査請求を棄却する旨の裁決をなし、同月二三日その旨原告に通知した。

四、しかしながら被告の各更正処分は、いずれも原告が昭和三五年および昭和三六年一月より七月までは産鋼商店の使用人であつたにもかかわらず、独立の営業主体として産鋼商店と鉄屑の取引(売買)があつたものと誤認した結果なされたものであつて、原告の総所得金額は後述する計算により昭和三五年度六六万七、四七六円、昭和三六年度一〇五万七、三七五円であるから、ここにその取消しを求める。

第二、被告の答弁および主張

一、請求原因一項のうち、原告が肩書地において丸高商店の屋号で鉄屑回収業を営んでいたことは認めるが、その余は否認する。同二、三項は認める。同四項は否認する。

二、原告の事業の概要について

原告は昭和三二年五月三日金属くず商の営業許可を受けて、丸高商店の屋号で鉄屑回収業を営むようになつたが、昭和三五、六年当時の丸高商店の営業規模は、従業員約一〇名、車輌四台、電話加入権二個を有し、個人事業としては大きい部類に属する。

原告は昭和三五年から昭和三六年七月までは、訴外大阪特殊製鋼株式会社(現在山陽特殊株式会社に吸収合併された。以下「大阪特殊製鋼」という。)の指定納入業者である鉄屑回収業、産鋼商店(経営者浦部弘)に鉄屑を売却していたが、昭和三六年八月以降は産鋼商店に代わり、大阪特殊製鋼の指定納入業者となり同会社に直接鉄屑を売却していたものである。

三、原告が独立の営業主体として産鋼商店に鉄屑を売却していたことについて

原告は、原告が昭和三五年から昭和三六年七月までは産鋼商店(経営者浦部弘)の使用人(買い子)にすぎないと主張しているが、原告が独立の営業主体として産鋼商店に鉄屑を売却していたことはつぎの事実によつて明らかである。

(一) 原告は昭和三五年初めごろ浦部弘と知り合つたが、当時原告は既に年間一億五、〇〇〇万円を超える集荷能力を有していたうえ(昭和三五年度において訴外三光商事株式会社に対する売上のみで二、〇〇〇万円を超えている。)、当時の鉄屑市況は好況であつたから、このような能力を持つ原告が浦部弘と知り合うやいなや、特別の事情もないのに同人(産鋼商店)の使用人(買い子)となつて長期間に亘り僅かな報酬に甘んじていたとは到底考えられぬことである。

(二) 原告が産鋼商店から交付を受けた大阪特殊製鋼の振出しにかかる約束手形は、訴外日本貿易信用株式会社、本町商事株式会社、双葉商事等で原告の名義で割引かれたうえ、河内銀行深江支店の原告名義あるいは益田敬三、木村夏代名義の当座預金口座に入金されている。また浦部弘の振出しにかかる小切手も同様に入金されている。

ところで益田敬三名義の当座預金口座には、原告の得意先である訴外力身鋳工株式会社、菊川工業株式会社などから交付を受けた手形、小切手が入金されていること、木村夏代名義のそれは、木村夏代が原告の妻であり、かつ産鋼商店以外の原告の取引分も同口座に入金されていることに鑑みれば、益田敬三、木村夏代名義の当座預金口座は真実はいずれも原告の口座である。

したがつて原告、益田敬三、木村夏代名義の当座預金口座の入金額はいずれも原告に帰属するものといわなければならない。

(三) 浦部弘は昭和三六年八月ごろ九〇〇万円程度の債務があつたと推定されるが、そのうち七一〇万円を超えない範囲で原告に対する債務があつた。そして浦部弘と原告ら債権者の間で浦部弘の債務の支払い方法について話し合つた結果、支払期日を昭和三六年九月二八日から昭和三九年二月二八日までに至る三〇回に亘る長期の分割払いとされたため、その期間の利息を考慮し、全債務額を一、〇六九万七、三二〇円とし、形式上それを原告の浦部弘に対する貸付金とし、債権者原告、債務者浦部弘、債権譲受人太田亀次郎とする「債務承認及び履行契約公正証書」が作成されているが、これは原告が自己の債権を保全するために作成した虚偽のものである。そして浦部弘は右債務の支払いのため原告ら債権者に前叙のとおり支払期日を昭和三六年九月二八日から昭和三九年二月二八日までに至る三〇通の約束手形を振出し交付し、担保として浦部弘所有の大阪府三島郡三島町大字庄蔵七五番地所在の宅地五〇〇余坪に抵当権を設定した。

ところで右手形は僅か三回程度決済されただけで(これにより合計約一〇〇万円の弁済がなされた。)、昭和三六年一二月末ごろ右抵当物件が換価処分され、原告は右換価代金のうち七〇〇万円程度の弁済を受けており、その結果原告の浦部弘に対する債権は完済により消滅した。

(四) 訴外茨木税務署長配下の係官が昭和三六年一二月一五日浦部弘の所得について調査したさい、雇人費について昭和三五年度分はその明細の記載がなく、昭和三六年度分は給与台帳に同年一月分より一〇月分までその明細が記載されていたが(そこに原告名の記載はなかつた。またそのさい浦部弘は同人の取引銀行である十三信用金庫千里丘支店を支払場所として同人が振出し、すでに決済された小切手のうち、丸高分支払い(乙第二号証)とあるは原告からの仕入れに対する支払いである旨申立て、また同人の従業員で会計を担当していた小林茂丸に原告から仕入れた鉄屑の手形決済分としてその明細をメモせしめ(乙第三号証)、それを係官に提出する等終始原告を仕入れ先として取扱つていた。

(五) 原告の買付けの相手方は、原告を独立の営業主体であり、産鋼商店の使用人であると考えていなかつた。

(六) 原告は被告配下の係官の調査にさいし、自己が産鋼商店の使用人であつた旨申立てたことは一度もなかつた。

(七) 原告は妻木村夏代が小規模な鉄屑回収業丸高商店を営んでいたにすぎないと主張しているけれども、鉄屑回収業は業態上女性のなし得る事業ではない。また原告は昭和三二年五月三日金属くず商の営業許可を受けて営業を開始したものであるが、昭和三五年五月一〇日布施警察署長が検査したさい大阪府金属くず営業条例一〇条の規定によつて禁止されている名義貸しの事実が認められなかつた。

以上のとおり原告は産鋼商店の使用人ではなく、独立の営業主体として同商店に鉄屑を売却していたものである。

四、原告の所得計算について

(一) 原告の所得額は別紙一に記載したとおり、昭和三五年度分四二六万四、三二〇円、昭和三六年度分六七一万二、四七六円であり、その計算の基礎となつた売上金額の明細は、別紙三(一)欄(昭和三五年度)、別紙四(一)欄(昭和三六年度)に、雇人費の明細は別紙六(昭和三五年度)、別紙七(昭和三六年度)に、割引料の明細は別紙八(一)欄(昭和三五年度)、別紙八(二)欄(昭和三六年度)にそれぞれ示したとおりである。

したがつて各年度の所得額の範囲内でなされた本件各更正処分に何ら違法はない。

(二) ところで被告は原告の所得を算出するにさいして、売上金額に同業者の平均所得率(別紙五記載のとおり昭和三五年度六・九四%、昭和三六年度七・五七%である。)を乗じているが、それはつぎに述べるようにまことにやむを得ない措置というべきである。

すなわち原告は各種帳簿を全く記帳しておらず、被告の調査にさいしても工員名簿、支払い給与明細書および一部の売上先について売上金額の一部をメモした紙片等を提出したのみで、他の取引の原始記録は皆無と主張して提出しなかつた。

そこで被告は、原告の売上先、取引銀行および手形割引先等の調査をなし、売上金額、割引料等を捕そくしたが、仕入先は拾い屋(街を廻つて各会社、工場、家庭等から鉄屑等を集める業者)あるいは寄せ屋(店舗を構え、拾い屋から鉄屑等を買取る業者)といわれる廃品回収業者であり、その支払方法はほとんど現金決済であるために仕入金額を把握することは困難であつた。

やむなく被告は大阪周辺の同業者のうちから、原告と同じく、売上の大部分を製鉄メーカーに納入するいわゆる指定納入業者(直納業者)に納入し、仕入れの大部分を寄せ屋といわれる廃品回収業者から仕入れている業者(これを俗に問屋あるいは代納業者という。)で、営業内容、規模も原告と類似している法人および個人事業者六名(別紙五記載のとおり)の平均所得率を計算し、これを原告の売上金額に乗じて所得を算出したわけである。

(三) 右の平均所得率昭和三五年度六・九四%、昭和三六年度七・五七%が合理的であることはつぎの事実によつても明らかである。

(1)  産業資源新聞(乙第四〇号証の一ないし五)は当時広く購読されていた業界紙であるが、これによると故鉄の大阪問屋着仲値(問屋の仕入価額)のトン当り年間平均価額(特級鋼と一級の平均)は、

1 昭和三五年度分 一万七、四〇九円

2 昭和三六年度分(一月から六月まで)

一万八、九二四円

である。原告は拾い屋あるいは寄せ屋から鉄屑を買入れ、産鋼商店や三光商事株式会社等の指定納入業者に売却していたものであるから、問屋に該当し、したがつて概ね前掲大阪問屋着仲値で仕入れをしていたものと考えられる。

(2)  しかして原告の産鋼商店に対するトン当り年間平均売上価額を乙第三〇号証の一および二によつて計算すれば、

1 昭和三五年度分 二万〇、五九一円

2 昭和三六年度分(一月から六月まで) 二万三、六〇六円である。

(3)  そこで原告の仕入額を特級鋼と一級の平坂値とみなして差益率を計算すればつぎのとおりとなる。

1 昭和三五年度分 一五・四五%

算式:(20,591円-17,409円)/20,591円×100 = 15.45%

2 昭和三六年度分 一九・八三%

算式:(23,606円-18,924円)/23,606円×100 = 19.83%

(4)  以上のとおりであつて右差益率を新元商店(乙第一〇号証)、中本金属商事株式会社(同第一一号証)、岩田商店(同第一三号証)、日栄商事株式会社(同第一四号証)の差益率(荒利益率)と比較すれば、むしろ後者が低きに過ぎる観さえあり、そのうえ産鋼商店と原告間の取引は手形決済によつていたから現金決済よりも差益率が高くなることを考慮すれば、乙第一〇号証ないし一五号証に基づく被告主張の所得率はむしろ低きに過ぎるくらいである。

(5)  ちなみに(3) の差益率と被告主張の所得率から一般経費率を算出すると、

1 昭和三五年度分 八・五一%

算式:15.45%-6.94% = 8.51%

2 昭和三六年度分 一二・二六%

算式:19.83%-7.57% = 12.26%

となり、したがつて一般経費額は、

1 昭和三五年度分 一、三三四万八、一四八円

算式:156,852,508円×0.0851 = 13,348,148円

2 昭和三六年度分 二、三四八万四、二四六円

算式:191,551,766円×0.1226 = 23,484,246円

となる。一般経費は自動車等の償却費、ガソリン代、電話代が主なもので僅少ですむから、被告主張の所得率が原告にとつて有利なものであることは明白である。

第三被告の主張に対する原告の応答および反対主張

一、第二、二に対する答弁

原告が昭和三六年八月以降産鋼商店に代わり、大阪特殊製鋼の指定納入業者となり同会社に鉄屑を売却していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二、第二、三に対する答弁

(一) 産鋼商店が交付を受けた大阪特殊製鋼の振出しにかかる約束手形が原告あるいは木村夏代名義の当座預金口座に入金されていること、原告が得意先から交付受けた手形、小切手が益田敬三名義の当座預金口座に入金されていること

(二) 浦部弘は昭和三六年八月ごろ一、〇〇〇万円程度の債務があつたが(被告は九〇〇万円程度と主張しているけれども)、右債務の支払い方法について浦部弘と原告ら債権者の間で話し合つた結果、全債務額を一、〇六九万七、三二〇円とし、債権者原告、債務者浦部弘、債権譲受人太田亀次郎とする「債務承認及び履行契約公正証書」が作成されたこと、浦部弘は、右債務の支払いのため原告ら債権者に支払期日を昭和三六年九月二八日から昭和三九年二月二八日までとする約束手形を振出し交付していること、担保として浦部弘所有の大阪府三島郡三島町大字庄蔵七五番地所在の宅地五〇〇余坪に抵当権が設定されたこと、右手形が不渡りとなつたため、右抵当物件が換価処分され、換価代金が各債権者に交付されたこと、

(三) 原告の買付けの相手方は、原告を独立の営業主体であり、産鋼商店の使用人であると考えていなかつたこと、

はいずれも認めるが、原告が独立の営業主体として産鋼商店に鉄屑を売却していたとの事実は否認する。

三、第二・三および三に対する原告の反対主張

原告は昭和三五年から昭和三六年七月までは産鋼商店(経営者浦部弘)の使用人にすぎず独立して営業していなかつた。すなわち、

(一) 浦部弘は昭和二九年ごろから大阪特殊製鋼の場内整理作業をしていたが、同会社の鉄屑納入業者に指定され、昭和三五年ごろたまたま知り合いであつた原告を買い子番頭として鉄屑の買付けに奔走せしめ、原告はその報酬として歩合給で一ケ月三万円ないし五万円を受領していたが、右報酬が仕事量に比し低額であつたため、しばしば浦部弘と争いを生じていたものである。

(二) 産鋼商店が大阪特殊製鋼から交付を受けた同会社の振出しにかかる約束手形が割引かれたうえ、原告あるいは木村夏代名義の当座預金口座に入金されているが、これは浦部弘の要請によつて入金がなされたもので、原告と産鋼商店間に鉄屑の売買がなされたことを推認させるものではない(これは原告が右手形の割引にさいして、裏書せず、裏書人としての担保責任を負担していないことによつて明らかである。)また益田敬三名義の当座預金口座は当時信用を失つていた浦部弘のために開設されたもので、一時原告が手形・小切手の現金化等のため利用したことがあるにすぎない。

(三) ところで原告は産鋼商店の使用人として浦部弘の指示にしたがい鉄屑の買付けに奔走していたが、産鋼商店のほとんど一切を原告がとりしきつていたため、各買付先は原告との取引であると誤認し、昭和三六年八月ごろ浦部弘の倒産にさいしてもしきりに原告に納入代金の支払いをするよう難詰したが、浦部弘に対する債権者集会の開催によつて原告が独立した営業主体として鉄屑を買付けていたものではなく単に産鋼商店の使用人にすぎないことが明らかにされている。

(四) 浦部弘は倒産時約二〇名の鉄屑回収業者に約一、〇〇〇万円の買付代金債務を負担していたが、太田亀次郎の労により全債務額を一、〇六九万七、三二〇円とし、債権者原告、債務者浦部弘、債権譲受人太田亀次郎とする「債務承認及び履行契約公正証書」が作成された。しかしこれは原告が全額の債権者であるわけではなく、原告が浦部弘に代わり大阪特殊製鋼への指定納入権を取得する関係上、各債権者に代わり全債権について原告が債権者となる形式をとり、原告が浦部弘から責任をもつて取り立てるためになされたもので、そのうえ債権譲渡の形式としたのは原告が債権譲渡人の責任を負担するためになされたものである。そして浦部弘が債務支払方法として、支払期日を昭和三六年九月二八日から昭和三九年二月二八日までに至る、額面を各約三〇万円とする三〇通の約束手形を振出し、全債権者にそれぞれ交付したことからみても、各買付先に対する真実の債務者が原告ではなく浦部弘(産鋼商店)であることが明らかである。また担保として被告主張の物件に抵当権が設定され、結局右手形の不渡りによつてこれの換価処分がなされ、その換価代金のうち五六四万九、四〇〇円が各債権者に配当されたが、そのさい原告も浦部弘に対する立替金について七三万七、〇〇〇円の配当を受けているところ、各買付先に対する真実の取引主体が浦部弘(産鋼商店)でなければ、原告が他の債権者と同様の立場にたつて立替金について配当を受けるというがごときは許されるはずがない。

四、原告の所得計算について

(一) 原告は、昭和三五年度および昭和三六年度の所得について、完全な帳簿を備えていなかつた。しかし、原告は当該各年度の生計その他の状況に照らし、できる限り正確を期して申告をした。

(二) 原告の売上金額は、昭和三五年度分につき、別紙三、(二)原告の答弁欄に記載したとおり三、〇七四万七、六一四円であり、昭和三六年度分につき、別紙四、(二)原告の答弁欄に記載したとおり八、四七三万七、五〇八円である。

(三) 被告は原告の所得を算出するにさいして同業者の平均所得率昭和三五年度六・九四%、昭和三六年度七・五七%を適用しているが、それは著しく合理性を欠くものである。すなわち、

(1)  被告主張の平均所得率算出の基礎となつた同業者はいずれも自己資本を有し、従業員、鉄屑置場等の人的物的設備も豊富な株式会社あるいは個人事業者であるに比し、原告は自己資本を有しない仲介業者に近似するものである(ただし、原告の事業とは昭和三六年七月までは原告の妻が営業していたものを指す。以下同じ。)。

(2)  被告主張の同業者は鉄屑の発生工場から直接鉄屑を安価に仕入れ、あるいはプレス加工をしたうえで売却するという営業方法を採用しているところ、かかる方法は利益が多大である。しかるに原告は(1) に述べたとおり単に仲介手数料を取得していたにすぎない。

(3)  被告の同業者抽出方法は抽出基準が不明確で、業績の悪い業者は除外されている。そのうえ抽出された中本金属株式会社(乙第一一号証)については、昭和三六年度の所得率は業績が悪いという理由で調査がされず、昭和三五年度のそれのみ調査がされたにとどまる。しかも抽出された同業者はわずか六名にすぎない。

以上のとおりであつて、原告の所得を算出するために被告主張の所得率を適用することは不合理である。

(四) そもそも所得を算出するためには所得率あるいは差益率(荒利益率)を適用すべきでなく、課税所得となる終局的利益の推定の率(純利益率)を適用するのが妥当である。

これを本件についてみれば、日栄商事株式会社(乙第一四号証)につきプレス加工をしたときの純利益率は二%程度であり、日進興産株式会社(乙第一五号証)のそれは、昭和三五年度につき〇・六%ないし一・七%、昭和三六年度につき〇・九%ないし二・一%である。ところで日栄商事株式会社および日進興業株式会社と原告との営業規模、形態の相違はすでに(三)に述べたとおりであつて、右両会社の利益に比し原告のそれが低いことは明らかである。そして当時トン当りの鉄屑取引価格が二万円程度であつて、そのマージンが二〇〇円ないし三〇〇円(一%ないし一・五%)であつたこと等をあわせ考えると、原告の純利益率は一%とするのが相当である。

そこで右純利益率一%を適用して原告の事業所得を計算すれば、別紙二のとおり昭和三五年度分三〇万七、四七六円、昭和三六年度分八四万七、三七五円となり、それに前述したとおり原告は浦部弘(産鋼商店)から一ケ月三万円ないし五万円の歩合給を得ていたからそれを一ケ月三万円として加算すると、原告の総所得金額は昭和三五年度分六六万七、四七六円、昭和三六年度分一〇五万七、三七五円となる。

(五) したがつて被告のなした本件各更正処分は原告の所得を過大に認定した違法があるので取消しを免れない。

第四、原告の反対主張に対する被告の反論

一、原告は産鋼商店の使用人として歩合給で一ケ月三万円ないし五万円を受領していたにすぎないと主張しているが、右事実は否認する。かりに原告が浦部弘から一ケ月三万円ないし五万円を受領していた事実があるとしてもそれは産鋼商店が原告に仕入れの大部分を依存していたことによる特別のリベートと推測される。

原告の給与所得は昭和三五年一月一八日浦部弘を代表取締役として、原告および原告の妻外一名を取締役として設立された丸高金属株式会社から受けた給料一九万二、〇〇〇円があるにすぎず、原告はそれを昭和三五年度分所得として修正確定申告している(被告は右金額を原告の昭和三五年度分所得として主張しない。)。

二、新昭光商事株式会社に対する売上について

原告は、新昭光商事株式会社は浦部弘(産鋼商店)から廻された手形の割引先であつて原告の得意先ではないと主張するが、かりに原告主張のとおりとするならば、手形割引は手形債権を早期に回収することを目的とするのであるから原告において現金を受領していなければならないにもかかわらず、同会社の振出しにかかる手形を原告が受領しているから、手形割引先でないことは明らかである。

三、所得率について

原告は被告主張の同業者は鉄屑をプレス加工したうえで売却しているから差益が大きいと主張するけれども、かりにプレス加工の有無の点で被告主張の同業者が原告と異なるとしても、差益率に相違が生じるにすぎず、所得率については大差がない。なんとなればプレス加工をした場合は売価が高くなり差益率が大となるが、反面プレス加工のための経費を必要とするため経費率が大きくなり、所得率では大差を生じなくなるからである。<証拠省略>

理由

一、請求原因一項のうち原告が遅くとも昭和三六年八月以降は鉄屑回収業丸高商店を営んでいること、および同二、三項の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、そこでまず原告が昭和三五年一月から昭和三六年七月まで鉄屑回収業を営む浦部弘(商号産鋼商店)の使用人にすぎなかつたのか、あるいは原告自ら独立の営業主体として右産鋼商店に鉄屑を売却していたのか、それとも右のいずれにもあたらないのかどうかについて判断する。

<証拠省略>それに弁論の全趣旨を総合するとつぎのような事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和二六年ごろから肩書地においてトラツク一台を使用して丸高商店の屋号で鉄屑運送業をしていたが、昭和三二年五月三日大阪府公安委員会から金属くず商の営業許可を受けて、引き続き丸高商店の屋号で鉄屑回収業を営むようになり、昭和三五、六年には従業員一〇名程度、車輌四台を有して営業していた。

(二)  一方浦部弘は大阪特殊製鋼の常務取締役であつた亡小手芳太郎の甥であることから、昭和二九年ごろより産鋼商店の屋号で、同会社の場内整理作業を請負い、あわせて鉄屑回収業を営んでいたが、同会社の鉄屑納入業者に指定された。ところで大阪特殊製鋼は当時業績不振のため鉄屑の集荷が思うにまかせず、その大部分を浦部弘に負うところとなり、ために浦部弘は多量の鉄屑を同会社に納入する必要に迫られていた。

(三)  しかしながら、浦部弘は大阪市近隣において、仕入先となる鉄屑集荷業者をほとんど知らなかつたため、かねて知り合いで、東部大阪市付近の小口集荷業者に顔の広い原告に対して原告の名と計算において鉄屑を買付け集荷してくれるよう委託した。原告は、浦部弘の申出を承諾し、昭和三五年初めごろから自己の名で広く第三者から鉄屑を集荷買付したうえ大阪特殊製鋼に対するこれが浦部弘名義による納品業務をも代行すべきことを引受けることにした。かくして浦部弘は、対大阪特殊製鋼の関係において場内整理作業には丸鉄金属の商号を、鉄屑回収業に産鋼商店を用いて事業を進めた(以下「産鋼商店」と言うときは鉄屑回収業を指すこととする。)。

(四)  ところで大阪特殊製鋼、産鋼商店、原告間の取引方法は、まず<1>大阪特殊製鋼が産鋼商店に対し、毎月鉄屑の所要数量と単価を示して納入を指示する(なお納入には同会社指定の納品書を要し、同会社はあらかじめ産鋼商店に納品書用紙を交付する。)。<2>産鋼商店は指定の数量を確保するため原告に右納品書を交付し、産鋼商店名義で同会社に鉄屑を納入するよう指示する。<3>右指示により原告は小口の鉄屑集荷業者から自己の名において買入れた鉄屑を右納品書を添付して直接同会社に搬入し産鋼商店の名において納品するという方法によつていた。

そして大阪特殊製鋼と産鋼商店の取引(売買)については、産鋼商店の資金不足を考慮して大阪特殊製鋼の振出しにかかる約束手形、小切手あるいは現金を前払いすることによつて代金決済を行なうのを例としていた。

(五)  ところで、原告が鉄屑の買付けをするに要する資金その他の諸費用は原告が産鋼商店から前記約束手形の交付を受けたものを割引現金化することによつて調達するのが主であつたが、一部は第三者からの借入金にも頼つていたのである。

ところが以上の方法による取引は原告当初の意図に反し、あまり利益をあげることができず、収益の主要な部分としては月々五万円程度の前記納品業務代行に対する報酬を受けるにとどまることが多かつたのである。

(六)  やがて浦部弘が、大阪特殊製鋼が産鋼商店に前払いとして交付した鉄屑納入代金を場内整理作業部門丸鉄金属のための費途に流用したことから、原告への買付け資金等の交付(それは原告が集荷して大阪特殊製鋼に納品を完了すれば産鋼商店の原告に対する代金支払いに充当清算される。)が遅延しがちとなり、そのため原告は買付先たる回収業者への支払いも借用金の返済もできない状態となつた。そこで昭和三六年度五月頃には原告、原告に資金を融資していた太田亀次郎および原告の買付先数名が浦部弘のもとに赴き、代金の支払いを催促したところ、浦部弘は、原告の買付先および借入先への債務を重畳的に引受けることを約諾した。

(七)  ところで浦部弘には当時一、〇〇〇万円程度の負債(産鋼商店以外の債務も含む。)があつたが、そのうち七〇〇万円程度は原告に対する鉄屑の買掛債務であつた。そこで原告、太田亀次郎および井上某(同人は浦部弘に対して債権を有していなかつたが、債権者から委託されて債権者の代表として行動した。)は浦部弘の弁済資力の調達保全もしくは上記債務弁済方法等につき同人と協議を続けた結果、浦部弘は大阪特殊製鋼の指定納入権を原告に譲渡し昭和三六年八月以降は原告がその名において直接大阪特殊製鋼に鉄屑を売却することとし、浦部弘の鉄屑取引上の既存債務は爾後一括してその全額につき形式上原告の浦部弘に対する貸付金として処理することと定め、これにつき債務額を金利を含めて一、〇六九万七、三二〇円とし、債権者原告、債務者浦部弘、債権譲受人太田亀次郎として、「債務承認及び履行契約公正証書」を作成した。もつとも右証書記載文言そのままに実質上も原告が一、〇六九万七、三二〇円全額につき個人として右債権を有するとするではなく、多数債権者集団の代表者たる資格におけるものであり、また太田亀次郎を右債権譲受人と表示したけれども真実債権譲渡されたわけではなく唯事実上債権保全を意図した措置であつた。そして浦部弘は右債務の支払いのため原告ら債権者に支払期日を昭和三六年九月二八日から昭和三九年二月二八日に至る約束手形三〇通を振出し交付し、担保としては同人所有の大阪府三島郡三島町大字庄蔵七五番地の定地五〇〇余坪に抵当権が設定された。

しかし右約束手形は二、三回程度決済されただけで、昭和三六年一一月ごろ浦部弘から同人の弟を介して決済猶予の申入れがなされたため、浦部弘と、原告、太田亀次郎、井上某の間で協議がなされた結果、当初の約旨どおり浦部弘は前記抵当物件を売却することとし、同年一二月ごろ一、〇五〇万円程度で換価処分した。右換価代金のうち原告および原告の買付先、借入先(浦部弘が原告の債務を引受けたことにより浦部弘の債権者となつた。)は合計約七〇〇万円程度を受領し、井上某によつて各債権者に配分されたが、原告に配分された金額は不明である。

(以上の事実のうち浦部弘は昭和三六年八月ごろ一、〇〇〇万円程度の債務があつたこと、全債務額を一、〇六九万三二〇円として、前示のとおりの公正証書が作成されたこと、浦部弘が前示のとおり約束手形を原告ら債権者に振出し交付し、担保として抵当権が設定されたこと、右手形が不渡りとなつたため抵当物件が換価処分され、換価代金が債権者に交付されたことはいずれも当事者間に争いがない。)

以上の事実を認めることができ、<証拠省略>はにわかに信用することができず、他に前記認定をくつがえすに足る的確な証拠はない。

以上認定の諸事実を以つてすれば、原告と産鋼商店間に継続的売買取引関係があつたものと認めるのが相当である。

三、そこで原告の売上金額について検討する。

(一)  昭和三五年度分について

力身鋳工株式会社に対する売上が九三四万四、七八八円、菊竹工業株式会社に対するそれが一二万〇、六六八円、三光商事株式会社に対するそれが二、一二八万二、一五八円であることはいずれも当事者間に争いがない。

ところで被告は産鋼商店に対する売上が一億二、六〇七万九、二四四円であると主張し、右主張にそう証拠としては、前掲乙第三〇号証の一、第三一号証があるけれども、<証拠省略>によれば、乙第三一号証は同証人が原告の所得の調査にさいして作成したメモで、単に年間の売上高が一億二、六〇七万九、二四四円であると記載されているのみであるからこの記載に依拠して直ちに産鋼商店に対する売上額が右記載の数額であることを認定するには未だ不十分と認められ、また乙第三〇号証の一によれば同証人の前記調査のさい浦部弘の手許に存する雑記帳、産鋼商店の原告からの月毎の仕入数量、仕入高、それに年間仕入数量としてそれぞれ六、一二三、〇九〇トン、仕入高一億二、六〇七万九、二四四円、年間平均トン当り仕入値二万〇、五九一円である旨の記載がされていたことが認められ、右記載に従つて一二月分の平均トン当り仕入値を計算すれば二万〇、八二四円となる(算式:19,293,662円÷921.7トン = 20,824円 )のに対して、前掲乙第一八号証の二ないし四五(大阪特殊製鋼の産鋼商店に対する買掛金元帳内訳票一二月分)によれば大阪特殊製鋼は産鋼商店から一二月分について鉄屑をトン当りほとんど一万九、〇〇〇円台で仕入れ、一部は一万七、〇〇〇円台で仕入れていることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、一二月分について、産鋼商店は原告から鉄屑をトン当り二万〇、八二四円で仕入れたうえ、その仕入値を下まわる金額たる一万九、〇〇〇円台で大阪特殊製鋼に売却したこととなり、しかも産鋼商店(浦部弘)について、自らかかる不利益な取引をしなければならない特別の理由が存したことを認めるに足りる証拠もない以上乙第三〇号証の一の前記記載は到底そのままに信用することはできない。

そして他に実額の立証もなく、また推計方式による主張、立証のない本件においては原告の産鋼商店に対する売上を計算することは不可能である。

また甲陽金属株式会社が原告の取引先(売上先)であることを認めるに足る的確な証拠はない。

そうだとすれば昭和三五年度売上金額の合計は原告の主張のとおり三、〇七四万七、六一四円と認めるの外はない。

(二)  昭和三六年度分について

力身鋳工株式会社に対する売上が六六二万七、五七一円、菊竹工業株式会社に収するそれが一、五〇〇万九、一四八円、三光商事株式会社に対するそれが一、七四一万四、四七〇円、大阪総殊製鋼に対するそれが四、五六八万三二一円であることは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば新昭光商事株式会社に対するそれが四七六万六、〇〇〇円であることを認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果はにわかに措信しがたい。また<証拠省略>によれば、渡辺商事株式会社に対するそれが一、七四六万一、九七四円であることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。ところで被告は産鋼商店に対する売上が八、四三九万二、二三四円であると主張し、右主張にそう証拠としては前掲乙第三〇号証の二、第三一号証があるけれども、乙第三一号証は単に年間の売上高が八、四三九万二、二三四円であると記載されているのみで右被告主張事実認定の証拠資料としては不十分と認められ、また乙第三〇号証の二と<証拠省略>によれば、同証人による原告の所得調査の当時浦部弘の手許に存した雑記帳たる乙第三〇号証の二から、その内容として、産鋼商店の原告からの月毎(六月分まで)の仕入数量、仕入高、それに六月分までの総仕入数量としてそれぞれ三、五七五・六八〇トン、総仕入高八、四三九万二、二三四円、六月分までの平均トン当り仕入値二万三、六〇六円である旨の記載がされていたことが認められ、右記載に従つて六月分の平均トン当り仕入値を計算すれば二万二、七九八円となる(算式:13,861,352円÷608トン = 22,788円)のに対して前掲乙第一九号証の二ないし三一(大阪特殊製鋼商店に対する買掛金元帳内訳票六月分)によれば大阪特殊製鋼は産鋼商店から六月分について鉄屑をトン当りほとんど二万一、五〇〇円で仕入れていることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、六月分について産鋼商店は原告から鉄屑をトン当り二万二、七九八円で仕入れたうえ、その仕入値を下まわる金額たる二万一、五〇〇円で大阪特殊製鋼に売却したこととなり、しかも産鋼商店(浦部弘)について、自らかかる不利益な取引をしなければならない特別の理由が存したことを認めるに足りる証拠もない以上乙第三〇号証の二の右記載内容も到底そのまま信用することはできない。

そして昭和三五年度分と同様に、他に実額の立証もなく、また推計方式による主張、立証のない本件においては原告の産鋼商店に対する売上を計算することは不可能である。

また甲陽金属株式会社が原告の取引先(売上先)であることを認めるに足る的確な証拠はない。

そうだとすれば昭和三六年度売上金額の合計は一億〇、一九六万五、四八四円と認めるの外はない。

四、つぎに被告は原告の昭和三五年度および昭和三六年度の所得を算出するにさいして売上金額に同業者の平均所得率を乗じているところ、<証拠省略>によれば、原告は帳簿を全く記帳しておらず、被告の調査にさいしてわずかに雇人費の明細書等を提出したのみであること、そこで被告は原告の売上先、取引銀行、手形割引先の調査をなし、売上金額、割引数を把握したが、仕入先は多数存し、しかもほとんど現金取引であるために仕入金額を把握できなかつたことが認められ、(原告が完全な帳簿を備えていなかつたことは当事者間に争いがない。)、右事実によれば被告が所得を計算するために推計方式を採用したことは相当と認められる。

すすんで被告主張の平均所得率昭和三五年度六・九四%、昭和三六年度七・五七%(別紙五記載のとおり)適用の合理性について検討する。

被告は売上金額に右平均所得率を乗じて原告の算出所得金額を計算し、右金額から雇人費(昭和三五年度分二六二万二、五九二円〔別紙六記載のとおり〕、昭和三六年度分三七四万二、五四五円〔別紙七記載のとおり〕)および割引料(昭和三五年度分三九九万八、六五二円、昭和三六年度分四〇四万五、四四七円〔いずれも別紙八記載のとおり〕)を控除して原告の所得金額を計算しているところ、被告主張の雇人費および割引料は原告の産鋼商店に対する売上に対応する分をも不可分に含んでいることは主張自体から明らかであり、したがつて被告主張の推計方式は原告の産鋼商店に対する売上が確定できることを前提としているのである。

ところで原告の産鋼商店に対する売上が存するにもかかわらず確定しえないことは上記誤示のとおりであるから本件につき被告主張の推計方式を採用することは適用の前提を欠くものとして不相当といわなければならない。

そして被告は別個の相当と認むべき推計方式を主張、立証することもしないのであるから、原告主張の純利益率(おそらく所得金額の売上金額に占める割合を指すものと解する。)を売上金額に乗じて所得金額を計算することもやむをえないところである。

原告は右純利益率を各年度それぞれ一%であると主張しているところ、本件全証拠によるもそれを一%を超えるものであると認めるべき的確な証拠はないから各年度について原告の自認する純利益率一%を適用し、前認定の売上金額に乗じて売上金額に対応する所得金額を計算すると

1  昭和三五年度分 三〇万七、四七六円

算式:30,747,674円(売上金額)×0.01 = 307,476円

2  昭和三六年度分 一〇一万九、六五四円

算式:101,965,484円(売上金額)×0.01 = 1,019,654円

となる。

そして、原告が浦部のために同人の大阪特殊製鋼に対する鉄屑納入業務を代行したことに対する報酬として昭和三五年一月から昭和三六年七月まで月々五万円の報酬を得ていたことは前段において認定したところであるから右金額を前認定の金額に加算すると、原告の総所得金額は、

1  昭和三五年度分 九〇万七、四七六円

算式:307,476円+50,000円×12ケ月 = 907,476円

2  昭和三六年度分 一三六万九、六五四円

算式:1,019,654円+50,000円×7ケ月 = 1,369,654円

ということになる。

そうだとすれば、原告の本件各更正処分の取消しを求める訴えは、昭和三五年度分の総所得金額九〇万七、四七六円、昭和三六年度分の総所得金額一三六万九、六五四円を超える部分について理由がある。

五、よつて本件各更正処分の取消しを求める請求は、昭和三五年度分の総所得金額九〇万七、四七六円、昭和三六年度分の総所得金額一三六万九、六五四円を超える部分の取消しを求める限度において正当としてこれを認容するが、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 日野達蔵 仙波 厚 喜多村治雄)

別紙一~八<省略>

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